映画「ギリシャに消えた嘘」を見たので以下ネタバレしまくりの感想文

やわなべです。

映画「ギリシャに消えた嘘」(ホセイン・アミニ監督、原題:Two faces of January)を見てきました。

上映してたのは梅田のミニシアター系の映画館で観客も20人程度。芸術系の小難しい作品は苦手なんですが、ミニシアターだからといってそんなに難しく考えずに見れる作品です。映画の雰囲気としては「オリエント急行殺人事件のライト版」みたいな感じ。名探偵とか謎解きは出てきませんが。

ジャンルはサスペンスなんですが、ストーリー展開の凝ってる度では、火曜サスペンスのほうがはるかに上です。邦題に「嘘」とついてるくらいなんで、何か観客の想定を裏切る展開があるのかと思ったら最後までありませんでした。

じゃあ、サスペンスとしてはイマイチで退屈な映画だったかというとそうではなく、お約束的なサスペンス展開がない代わりに、登場する3人の心理劇と、美しい風景、それに音楽の美しさで十分に補われています。

中心人物は、投資詐欺で大金を稼いでギリシャを優雅に旅してる初老のアメリカ人紳士(ヴィゴ・モーテンセン)とその妻(キルスティン・ダンスト)、殺人事件に巻き込まれる紳士を助けながら、その好意のでどころがカネなのかキルスティン・ダンストなのかいまいちよくわからない、現地ガイドの若者(オスカー・アイザック)の3人。

特に目を引くのは紳士を演じるヴィゴ・モーテンセンですよ。大金ときれいな奥さんを得て優雅にギリシャで遊びながらも、ずっと何かに怯え続けていて、妻にも、親切なガイドにも、最後まで信用をおくことができない。高級そうでスキのないファッションは、サマになってるんですが、現金が入ってるトランクに他人が触ったらめっちゃ怒る、みたいな。中に入ってるカネだけが自分のステータスの証であって、それを失う恐怖にガチガチに縛られてるんですよね。「うわぁ、男って哀しいなあ」と思いますよ。

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で、ここから思いっきりネタバレすると、この紳士、故意でない殺人を犯してしまったあと、偽造パスポートを作って逃げようとするんですが、その逃避行を手引きしてくれるガイドの青年の魂胆が実は妻にあるんじゃないかと疑い、逃げてる途中に立ち寄ったクレタ島の遺跡の中で殺してしまおうとするんです。真っ暗闇の中だったんで、とどめを刺せず、実はガイド君、死んでなかったんですが。

で、帰ろうとして「ちょっとあんた、ガイド君どないしたんな」と詰め寄る妻ともみあいになって、あやまって遺跡の階段から突き落としてしまい、殺すつもりのなかった妻の方が死んでしまう。これがギリシャの遺跡の中で繰り広げられるわけですよ。授業だったらここで一旦ビデオを止めて「はい、皆さん、これがギリシャ悲劇というものでして…」と解説入れたいくらいな、わかりやすい悲劇です。

その後のストーリーは、独りになってさらにイスタンブールへ高飛びしようとする紳士と、追っかけるガイド、そして、2件の殺人(どちらも目撃者あり)の容疑者を追う地元警察とのハラハラドキドキ捕物帳みたいな話なんですが、正直、キルスティン・ダンスト死んでしまったところで、もう半分以上、その後の展開には興味失ってましたね。

サスペンスなら最後に「実はガイドは紳士と関係のある人物だった」みたいなオチがあるところですが、それすらなかったのはかえって潔いと感じました。サスペンスとしてのお約束を無理やりはめ込むより、ギリシャ悲劇の単純だけど深い人間の悲しみを訴えかけることを重視したという感じ。そのあおりでガイド君が「トラブルに巻き込まれただけの不運な若者」という喜劇的存在になってましたが。

1960年代のギリシャ、トルコの土っぽい風景をめぐる若干セピア目な映像は美しいし、アンドレア・イグレシアスさんによる「いかにも古い名画っぽい音楽あててくれ、というオーダーに応えました」って感じの音楽も美しいんですが、最後までこの世界観に100%のめりこむことができなかったのはなぜだろうか、と思ったわけですよ。考えた末に結論として出てきたのはですね…

 

キルスティン・ダンストが老けてたからじゃないかな、と。

写真はWikipediaから。美しい方なんですけど、50がらみの初老の紳士とペアになってても全然違和感ないでしょ。日本の美魔女を持ちだすまでもなく、アカデミー賞の授賞式見てたら、こんな感じの見た目で実は40歳,50歳って方いっぱいいますよ。逆に今wikipedia見て、キルスティン・ダンストの実年齢がまだ32歳だってことのほうが驚きでした

この映画のストーリーを支えてるのって、初老紳士の「何を与えても、いつまでたっても、完全に自分のものになった感じがしない、若くて美しい妻への猜疑心」だと思います。実際映画の中でも、現地の人が二人を見て「あれが夫婦? 親子ほど年が離れてるじゃないか」みたいなセリフがあって、たぶん原作ではもっと若い設定だったんじゃないかなぁ、と思うんですけど、失礼ながらこれがダンストさんだと普通に夫婦に見えてしまうんですよねぇ

なので、本来、若妻の無防備な美貌によってかき乱されるはずだった老いた男の哀しみが相対的に目減りしてしまっててですね、日本昔ばなしに出てくる「カネにガメつい爺さん」みたいな成分をモーテンセンさんが帯びてしまってるのがなんとも惜しい。

さらに言うとこの映画は、ガイドがアメリカからのツアー客をパルテノン神殿に案内してるシーンから始まるんですが、ツアー客の中に「いかにも良家の子女」みたいな女子大生がいて、彼女の方もガイドに気があるらしく、いい感じになりかけてるんですよ。で、この女子大生が文句のつけようのないほどに美しい

正直、映画の始めの段階では、「ああ、この女性が中心人物なんだろうな」と思いましたし、どうやらもう出てこないとわかってからは「あの女性が、中心人物だったらよかったのに」と時制の変化をとげ、願望のような気持ちをずっと持ち続けてました。演じてたのはこの方。

 

(写真は
Daisy Bevan Daughter of Joely Richardson Red Carpet Picture | POPSUGAR Beauty UK )から

デイジー・ビーヴァン(daisy bevan)さんというイギリスの女優さん。まだキャリアは浅いみたいですが、映画の冒頭、パルテノン神殿をバックにこの人出てきたら、そりゃ期待も高まりますよ。

この彼女が20分くらいのところでもう出てこないとわかって興味の2割ほどがそがれ、その後、代わりと言っては失礼ですが、キルスティン・ダンストの魅力にだんだん惹かれてきた、時間にして3分の2くらいのところで、今度はそのダンストさんも死んじゃって、あと出てくるの、逃げるおっさんと、追っかけるおっさん。おっさんばかりです

デイジーさんはともかく、残り尺の3分の1くらいあるところで三角関係のバランスの頂点である女性を排除してしまうストーリー展開は、おそらく男性だったら書かないんじゃないかなー、と感じたんですが、原作はパトリシア・ハイスミスという、名画「太陽がいっぱい」の原作を書いた女流作家でした。

てか、予備知識ゼロで見てましたが、この映画の最大のウリ文句は「あの『太陽がいっぱい』を書いたパトリシア・ハイスミスの作品を映画化!」というところだったみたいです。

原作が女流だからというわけではないんでしょうが、出てくる女性を中心に見ていると若干物足りなさを感じる分、ヴィゴ・モーテンセン演じる紳士が(中身の小ささに反して)めちゃくちゃかっこいいです。

常にジャケットに帽子、トランクを手離さず、斜めにタバコをくわえ、やけ酒にウィスキーをあおる。これが逃避行が長引くにつれて髪は乱れ、だんだんくたびれてくるわけですよ。嫉妬に狂ってクレタ島の漁村でこのカッコで酔いつぶれてたりするんですよ。これはもう女性向けの格好の萌え要素でしょうし、男性も彼の身につけてるアイテムとか小物とかが絶対気になるはず。

この映画は、90分ちょいと尺は短めなんですが、もし映画のエンドクレジットの最後に「続きはwebで」とか出てきてスマホでアクセスしてみたらダンヒルのサイトだった、とかだったら、「ああ、そういうことやったんか」と普通に納得したと思います。要するに「これ、やたらカッコいいけど、なんのCMなんやろうなぁ」くらいの気楽さで見るのがいい映画だと思いました。