ドラマ化しにくいギリシャ独立物語「物語 近現代ギリシャの歴史」(村田奈々子)

やわなべです。

ギリシャとEUとの非モテ男女のようなグダグダ関係はまだ当分続きそうな感じですね。いつ始まるのかわからない世紀のボクシングマッチの前座を永遠に見せられてるような感じがしてきました。

(参考)ギリシャ議会が財政改革案可決 EU、支援再開へ  :日本経済新聞

何か参考になるかな、と、積ん読してあった「物語 近現代ギリシャの歴史」を付け焼き刃で読んだんですが、これなかなか面白くて一気読みしてしまいました。中でも第1章に書かれたギリシャ建国までの経緯。なんとなーく、現在の欧州との関係の原点が感じられるものでしたよ。

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ギリシャの独立グダグダ物語

現在のギリシャの正式な独立は1832年のこと。独立前夜のヨーロッパの地図はこんな感じでした。

地中海沿岸の大半がイスラム教のオスマン帝国の勢力下にあった時代。ただし来る近代化の時代の前にその勢力は衰えつつありました。現在のギリシャはその中のほんの一部なんですが、1820年代から独立運動がおこります。ただし、

実際、独立戦争に参加したギリシャ人は、ひとつの政府のもとに一致団結して、死を賭してでも民族の独立のために戦おうという強い意志を持って戦争を遂行したわけではない。欧米から馳せ参じた親ギリシャ主義者たちが、しばしば呆れ、嘆き、そしてしまいには憤ったように、独立戦争は、統一した指揮系統を欠いた、ギリシャ人同士の絶え間ない内戦の連続でもあった。

ここに出てきた「ギリシャ人同士の内戦」という構図、本書でもこのあと何度も形を変えて登場してきます。

ひとくちにギリシャ人といっても、当時、民族的にも宗教的にも統一した「ギリシャ人としてのアイデンティティ」があったわけではなく、また、独立すべき「ギリシャという土地」の領域も曖昧でした。オスマン帝国の支配の前はビザンチン帝国の一部だったわけですし、紀元前の古代まで遡っても、あったのはアテネやスパルタといった都市国家だったわけで、ギリシャというまとまった国体が独立以前にあったわけじゃないんですね。

結局、当時の現状に不満な層が、独立を掛け声に内輪もめをしていただけな状況に近かったのかもしれません。オスマン帝国は異教徒に対し、税などの制限はかけても迫害するようなことはしなかったので、キリスト教徒の中にも一定の地位を得ている者もいました。

で、この動きを周囲はどう見ていたかというと、1820年代の欧州というのは、ナポレオン戦争が終わった後のウィーン体制のもと「なるだけ大きい争いごと避けましょうや」的なムードにあったわけです。

ゲリラ的活動の粋を出ないギリシャの独立運動に関しても、当時の大国イギリス、フランス、ロシアはそろって中立的に静観。そうこうするうち独立軍は、オスマン軍との戦いでぼ壊滅しかけるんですが、そんなときにロシアの皇帝が亡くなって状況が変わります。

変わって即位したニコライ1世さんが、がわりと好戦的な方でして、ウィーン体制の打破を目論み、地中海への足がかりの欲を見せはじめるんですね。

それを見たイギリスは「黙ってロシアに地中海の利権取られてたまるか」と介入。結局この2国の話合いの結果、1826年「ギリシャはオスマン帝国の中の自治国、ってとこで手打ちましょうや」となります。

今度はそれを聞いたフランスが「ちょ、お前らだけで決めんなや」と口出し、この3国によって翌年改めて「ギリシャ和平条約」が締結され、ギリシャのオスマン領内の自治国化が決まります。

…はい? ああ、当事者であるギリシャやオスマン帝国ですか?

 

蚊帳の外です。

 

この和平条約は暫定政府も、オスマン帝国当局も、まったくあずかり知らぬところで締結された。

交戦中の当事者はずした和平条約なんてギャグとしか思えないですが史実です。

独立軍も一応、暫定政権を立てていたんで外交窓口はあったはずなんですが、上記3国からは、上の条約締結の1か月後に「ウチらで話合った結果、おまえら和平することになったから」と通達が来ただけ。

オスマン帝国は「んなアホな。どうせお前ら口だけやろ」と攻撃を継続するんですが、予想に反して3国が軍隊を派遣、実力行使に打って出ます。これにはオスマン帝国もかなわず、なし崩し的にギリシャの自治国化が承認されることになりました。

このように当初、ギリシャの扱いはあくまで「オスマン帝国内の自治国」という位置づけだったのが、これを決めた3国の中で次第に思惑のずれが生じてきます。

イギリス、フランスが「ロシアの奴、このまま抜け駆けしてオスマン帝国の領土を切り崩そうとしとんちゃうか」という疑念を抱き「それならいっそギリシャがオスマンから独立してた方が都合がええかも」と考え出します。

そしてこの3国が再度協議の上、1830年に調印した「ロンドン議定書」において「もっかい話し合ったんやけど、やっぱりギリシャ独立国にしまぁす」と宣言。

…え? その時のギリシャですか? 

 

またもや蚊帳の外です。

 

この議定書の作成にあたって、ギリシャ暫定政府とのあいだで事前の協議がなされることは一切なかった。

お笑いでいうところの「天丼」というやつですね。独立できてよかったものの、なんとなく手放しで喜べない感じです。すでにオスマン帝国も抵抗する力はなく、この決定もなし崩し的に受け入れ。このなんとも盛り上がりに欠けるいきさつが、ギリシャ建国の物語なのです。 どちらかというとギリシャ悲劇より吉本新喜劇に近いです。なんやようわからんけど最後はええ話になっとるで、みたいな。

ヨーロッパとギリシャの微妙な距離感

ただ、他の地域とギリシャが違うのは、欧州列強はギリシャに対し、ある共通の敬意というかノスタルジーを抱いているということ。つまり、過去に、ヨーロッパ文明の礎となるギリシャ文明を築いた

「ヨーロッパの心のふるさと」

のような敬意です。日本だと 奈良の明日香村 への思いみたいな位置づけでしょうか。これがあるために他国の教養ある人らが個人的に独立を支援したり、自ら独立軍に従軍する動きがあったんですね。ブルガリアやアルバニアでは期待できない効果です。

独立後は、近現代史を通じて唯一といっていい英雄的な人物、ヴェニゼロスのち生によって、一気に近代化が進んだり、領土が広がったりもするんですが、現在に至るまで国際情勢や国内体制は変われども、やってることはあまり変わりません。

・ヨーロッパにおんぶにだっこ
・国内で派閥に別れて対立、内戦に明け暮れる
・それでいてヨーロッパ文明の発祥としてのプライドは強い

いかにも面倒くさいタイプですが、これがギリシャの近現代史を貫く特徴のように感じました。

で、これが頭にあると、最近の


(参考)ギリシャ反緊縮デモ、一転暴徒化 飛ぶ火炎瓶、首都緊迫 – 47NEWS(よんななニュース)

こんなニュースだとか、あるいはちょっと飛躍しますが、

パナシナイコスオリンピアコスというギリシャの2大サッカーチームが毎年繰り広げる「ギリシャダービーという名の仮想内戦」なんかも同じ精神の延長線上にあるのかなぁ、と感じます。

というわけで本書1冊から得たイメージの断片だけで、今後のギリシャを乱暴に占うとすれば、

・欧州がギリシャをEUから切り離すことはなく、グダグダな関係は今後も続くだろう
・一方のギリシャも欧州連合から抜けだして我が道を行くような独立心も気概もないだろう。
・現チプラス政権や、急進左派連合による体制は崩れるかもしれない。が、代わってどれか一党によって国がまとまるなんてことはないだろう
そして形を変えて派閥争いが続けられるのだろう

といったところでしょうか。