「諏訪の神」2016年の諏訪大社の御柱祭前にぜひ読んでおきたい1冊

やわなべです。

サブタイトル「封印された縄文の血祭り」のB級ホラー感にひかれて軽い気持ちで手にとった「諏訪の神(戸矢学著)」なんですが、なんすかこれ、めちゃくちゃおもしろいじゃないですか。

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諏訪の神: 封印された縄文の血祭り

  • 作者: 戸矢 学
  • 出版社: 河出書房新社

諏訪の神と聞けば諏訪大社。諏訪大社といえば6年ごとに行われる荒々しい御柱祭おんばしらさい、正式には式年造営御柱大祭「しきねんぞうえいみはしらおんさい」)が有名ですよね。大の男が大勢乗ったままの大木を急斜面に滑り落とすアレです。

ニュース映像なんかで見るにつけ「なんであんなことするんだろう」と素朴な疑問を感じていたんですが、この本でそれらが氷解するとともに、その背後にある、人々の信仰の奥深さに圧倒される思いでした。

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御柱の意味とは?

あの地滑りさせる大木って、あのあと、どう使うのかよく知らなかったんですが、神殿建て替えに使う木材じゃないんですよね。というか、諏訪大社ってそもそもご神体をまつる本殿というものが、一部をのぞいて、ない。

「一部」ってのは、諏訪大社といっても上社と下社があって、さらに、上社は前宮と本宮、下社は春宮と秋宮があります。しかも、この4つ、それぞれが結構離れた位置にあります。


(参考)全体ご案内図 | 信濃國一之宮 諏訪大社(公式サイト)

このうち、上社前宮には本殿があるものの、それ以外は拝殿のみ。拝殿の奥にある樹木や森をご神体として崇める、古い形の自然信仰を踏襲するものです。

関西だと、奈良にある大神神社(背後の三輪山をご神体として崇める)や熊野神宮と同じで、原始的な信仰に基づく神社の原型といっていいでしょう。

そして、御柱祭とは、

宝殿の造り替え、また社殿の四隅に「御柱」と呼ばれる樹齢200年程の樅の巨木を曳建てる諏訪大社では最大の神事です。

(参考)御柱祭 | 信濃國一之宮 諏訪大社(公式サイト)

と公式にあるように、柱は社殿の四隅にそのまま建てるんですね。

「御柱」で画像検索しても、例の祭のクライマックスである「木落とし」の写真しか出てこないのですが、本書に紹介された写真を見ると、まるで神域の縄張りを示すかのように、そびえて立っているのがわかります。

諏訪大社だけではなく、諏訪地方では他の神社や道端の小さな祠に至るまで、ことごとく四隅に柱を建て、6年に1回柱を取り替える風習があるらしいんですよ。

しかも柱の先端は、いずれも角錐状に削られていて、本書表紙写真のように小さな祠であるほど不気味です。なにか、この地域が特別な領域だと顕示しているかのようですよね。

この風習が何を示しているのかについては、古来から諸説あるようですが、著者が注目したのは「人々の柱に対する扱い」です。

「木落とし」で見られるように、引きずり回したり、なたで切込みを入れたり、少なくとも御神木としての扱いとは思えない。

御柱を「生き物」だと仮定してみると、よりわかりやすいだろう。これだけの仕打ちを受けた「生き物」はどうなるか。これは、神前に捧げる「血の供膳」であろう。

御柱は御頭祭の祭具の代用?

実は、諏訪社(上社本宮)には御柱祭と同様に重要な「御頭祭(おんとうさい)」という毎年春に行われる例祭があります。

一種の謝肉祭のようなもので、かつては75頭もの鹿の生首や、鳥獣のたぐいを串刺しにしたものを神前に供えていたんだそうな。(現在は鹿肉と、剥製のシカの首で代用)

この例祭を江戸時代に菅江真澄という博物学者がスケッチした記録が残っていて、その挿絵を見ると、それらのおどろおどろしい供え物が並べられた祭壇の中央最前列に、御柱によく似た柱がある。

御贄柱(おにえばしら)」または「御杖柱」とよばれるもので、御柱と同じように、先端を削った角材にヒノキなどの枝と矢をくくりつけたもので、高さは2メートルくらい。

でも、中央の血まみれの供え物ほど、おどろおどろしさのないこの角柱の名前がなぜ「御贄柱」なのか。

著者は、現在の御頭祭が鹿の生首を剥製で代用しているのと同様に、江戸時代の「御贄柱」も、かつての「贄柱」の代用なのだろうと考えます。

かつてはこの柱には、樹木の枝などではなく、最上の贄として最も相応しい「生きている贄」が括りつけられていたはずである。その「生き贄」こそは「人間」以外の何物でもないだろう。(略)そう、これは「人柱」なのだ。

江戸時代の諏訪の人々は「御贄柱」という言葉をはばかって、外部の人間には「御杖柱」という呼び方をしていたようです。

そして、現在の諏訪の人々も、御柱祭で毎回のように出る死者を「鎮魂のための人身御供」として当然のように受け入れている節があるように思えます。

そこまでして鎮魂しないといけないほど畏れられる神とは一体なんなんでしょうか。

謎の祭神「タケミナカタ」

普通に考えれば、崇められる神様=諏訪大社の御祭神、となるんですが、ここの御祭神、ちょっと変わってるんですよ。

諏訪大社の4つのお宮はいずれも「建御名方神(タケミナカタノカミ)」という男神と「八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)」という女神をお祀りしているんですが、この「タケミナカタ」の神様が謎。

古事記によるとこの神様、出雲からアマテラス一派への国譲りの話の出雲側の神様として出てくるんですが、アマテラス方の神様にケンカをふっかけておきながら、けちょんけちょんに返り討ちにあうという、北斗の拳の雑魚キャラみたいな存在なんですよ。

結局、諏訪の地に追いやられ「もうこの土地から外には出ません。中つ国はあなた方にお譲りします」と、最後までいいとこなしです。そして、「タケミナカタ」に関する、これ以外のエピソードは一切ありません。

が、そのパッとしない神様をお祀りした諏訪社のその後はというと、主に軍神として武田信玄など武家中心に篤い信仰を受け、今でも日本全国5000以上もの神社に分社、勧請されているわけです。ヘンですよね?

それに、この神様への鎮魂行事として、前述の血なまぐさい供祭が相応しいとも思えません。

著者はこの神への言及が古事記にしかなく、正史である日本書紀や、出雲風土記にも全く出てこないことから、朝廷方の人間が、忌み嫌う存在のメタファーとして後付けで古事記に挿入した話だろうと推察します。結論だけ書くと「タケミナカタ」とは、飛鳥時代に軍事、祭祀を司る一族として栄えた物部氏の長、物部守屋だろう、というのが著者の考えです。

ただ、その守屋にしても、地元の人が、血を捧げて鎮魂し続けなければならないほどの存在とは、やはり思えません。

著者は、縄文時代にさかのぼる、ミシャクジの信仰がまずあり、その「諏訪の神」信仰が、その後、飛鳥時代に朝廷による物部守屋鎮魂という物語によってアップデートされたのではないか、と考えます。

物部氏はこの地域に何らかの関わりがあり(所領の一部だったか、没落後の一族が逃れてきたか)、没落後に朝廷が、そのたたりを恐れるがゆえに諏訪社の御祭神として祀り上げた。その時の御祭神としての名が「タケミナカタ」なのだろう、と。

こうして、守屋以前の原始的な畏怖、信仰の対象だった「ミシャクジ」の正体とは何か、という問いに戻ります。著者の答えは….本書の最後に示されています。

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諏訪の神: 封印された縄文の血祭り

  • 作者: 戸矢 学
  • 出版社: 河出書房新社