(読んだ本)「感情教育」フローベール

やわなべです。

週末、インフルエンザかと思われる風邪で寝込んでたんですが、その間に、フローベールの「感情教育」をようやく読み終えました。去年半額セールで買ったやつですね。

大作なんですが、読後にドフトエフスキーの作品でも感じないような「ロス感」を感じてしまったのは自分でも意外でした。

「面白かったか?」と問われれば「面白かった」と答えますが、「おすすめか?」と言われると「いやーどうでしょ」という感じ。今の時代、こういう感じの大作を読み通せる人ってかなり少ないと思うんですよね。

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読み手を選ぶ「感情教育」

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感情教育(上) (光文社古典新訳文庫)

  • 作者: フローベール
  • 出版社: 光文社

とりあえず長いです。上下2巻のページ数以上に長さを感じます。なぜか。

舞台はルイ・フィリップの7月王政下のフランス・パリ。フレデリックという田舎の青年が、パリで成り上がろうと奮闘する軌跡なんですが、このフレデリックがですね、

どうしようもないくらいに凡庸なんですよ。

ギラついた野心もなければ、混迷極まるお国の情勢に一家言あるわけでもない。心にあるのは、アルヌー夫人という、ふたりの子持ちの人妻への恋慕と、相続できるどうか怪しい親族の遺産の額だけ。

お父様が亡くなった際、「よし、これで遺産が手に入る。その金で、パリにセンスのいい住居を手に入れて、アルヌー夫人といちゃいちゃするぞ〜」と、20代の若者とは到底思えない、みみっちい野望に思いを馳せたかと思えば、あてが外れて、実は遺産はそれほどなかったとわかると「ああ、これでは恥ずかしくて、パリになんて戻れやしない」と嘆きます。フレデリック、意識低いです。君、まだ若いんだから、そこはウソでも「こうなったら自分で運命切り拓いていこう」とか言っとこうよ。

が、その後、別の親族が死んで、その遺産が転がり込んでくるんですよ。フレデリックはガッツポーズ。意気揚々とパリに戻り、馬車とか家具とかそろえて社交に備えます。フレデリック、現代に生きてたら確実に承認欲求とか、facebook疲れとかこじらせてるタイプだと思います。てか、私は古典の名作を読んでるはずなんですが、なんでこんなイケてない若者の人生をフォローさせられてるんでしょうか。

ちなみに、こんなフレデリックですが、物語後半に代議士に立候補しようとします。読んでて「え、お前まじか、やめとけって」って、声出ましたよ。自分の人生にもさほど興味ありそうに思えないのに、政治の舞台で何を目指すのかと。

と、ここまでぼろくそに書きましたけれども、この、あまりにも主人公感の薄いフレデリック君の人間っぽさに付きあってると、徐々に「お前はオレか」的な親近感を感じて来ます。

派手なエピソードだけを並べていけば、壮大なストーリーになるかもしれないけど、実は、それ以外の凡庸なエピソードも時系列に羅列していけば、だれでも辻褄のあわない言動を取ってるものなのかもしれません。

フレデリックの凡庸さと、自分自身が重なりだしたら、作品にのめりこんでいる証拠です。フローベールの「そこまで細かく書く必要ないやろ」と感じるほどの、街や、建物や、部屋の中の調度品の、精緻な描写もあいまってストーリー展開よりも、その背景の世界に住み込んでしまうかのような不思議な感覚に陥ってきます。

1840年代のパリ、「外から見たら華やかそうなんだけど、実は他とそう変わらない日常のパリ」を、現代の読者がリアルタイムで過ごしているようなバーチャル気分。私はパリに行ったことないですが、たぶん今行ったら初めてに感じないんじゃないでしょうか。

後半は舞台そのものが革命モードに変わって、主人公の近辺の動きもテンポアップします。フレデリックも、愛人ロザネット(アルヌー夫人とは別の女性)をめぐってのいざこざから決闘したり、その愛人をはらませたり、実家の隣に住んでた田舎娘に惚れられたり、と大忙し。まあ、それでも結局、最後までパッとしないフレデリックなんですが、それでいいんです。等身大の彼を通じて、19世紀のパリをバーチャル体験できる点こそが、現代にあってこの小説を読む意味なんだと思います。

そう、パリはいつの時代でも「パリ」なんです。

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感情教育(下) (古典新訳文庫)

  • 作者: フローベール
  • 出版社: 光文社

この時期のパリで開かれてた「改革宴会」って語感がツボだったので、今後、鳥貴族での飲み会をこう呼びたいと思います。