TOHOシネマズのMX4Dで映画「オデッセイ」を観たので感想文(ネタバレ無し)

やわなべです。

TOHOシネマズのレイトショーで、話題の大作「オデッセイ」を観てきました。3Dに体感的な物理的効果が加わった、MX4Dで。

「MX4D」も「オデッセイ」も、きっと多くの方が、いいレビューを書いているでしょうから、単に個人の感想文として、メモ書き程度に。

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初めてのMX4D、ここが良かった

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TOHOシネマズが「体感型」4Dシアターを導入! || TOHOシネマズ

MX4Dでの鑑賞は今回が初めてです。実は3Dすら「アバター」で気分が悪くなって以来、一度も見てないヘタレなんですが、1回くらいはネタでいいかな、と。

通常の映画料金に加えて、1600円(3Dメガネ持参なら1500円)の追加料金が必要です。今回はレイトショー割引で1300円だったので、合計2900円でした。

座席下にバッグなどの物を置くことができないので、シアターに入る前に、コインロッカーに荷物を預けるよう、促されます。コートを脱いだり、ロッカーに入れたりする時間として、5分くらい余裕を持って行った方がよさそうです。

本編上映前に、チュートリアルがてら、4Dの仕掛けをひととおり体験させるCMみたいなのが入るんですが、その時は、さすがに「おおー」と思いました。顔面にミストがかかるやつなんか、ホラー映画でやられたら、相当効果あるんじゃないかしら。

が、一番のメリットは、単純に、座席がゆったりしててデカい、ってことでした。ビジネスクラスみたいな感じ。背もたれも高いので、前後、左右の他人の動向が気になることもありません。

作品にもよるでしょうが「オデッセイ」はかなり細かい描写にまでアクション(特に振動)がついていたんで、寝落ちする可能性は通常より低いかも

MX4Dの、ここがイマイチ

座席の座り心地はいいんですが、見終わったあと、高速バスや飛行機に乗ったあとのような、足のむくみを若干感じました。一緒に見た友人も同じ症状を訴えてたんで、座席の傾斜とかが関係するんでしょうかね。何か対策が必要、ってほどのことではないですが。

目玉のMX4D効果は、座席からだけではなくて、スクリーン前面にスモークが湧いたり、スクリーンのまわりがピカっと光る、といったものもあります。が、これらが、わりとショボい。フラッシュ効果なんて「お、LINEの通知かな?」くらいの感覚です。

座席からの効果も、ある程度、慣れてくるとだんだん感度が薄れてきます。まぁこれは3Dも同じですけどね。

違和感を感じたのは、体感効果のそれぞれが「いったい何を視点とした効果として当てられてるのか」、一貫性が感じられなかったところ、でしょうか。

たとえば主人公が、空になったプラスチックの収納ボックスを地面にポイッと投げ捨てる、という、なんてことないシーンがあるんですが、その捨てられたボックスが地面に当たる瞬間、座席が揺れる。えっ。

ウチら、収納ボックス目線かいな

そう思うわけですよ。シリアスな場面が一気にシュールな描写になってしまう。

1600円というほぼ倍額の料金を取ってる手前、あとから「思ったほどアクション多くなかったな〜」と感じられないよう、必要以上にサービスしてくれてるのかもしれません。けど、基本的に、今画面に出てる人が感じてるのと同じ効果だけでいい、と思うんですよね。視点が狂うと、作品への集中力をそぐことにもつながりかねないので。

というわけで、作品への「のめり込み具合」で評価すると、4Dの体感効果はプラス・マイナス両面あるかなぁ、という印象でした。

以下、「オデッセイ」作品感想文(ネタバレなし)

以下は、「オデッセイ」 作品に対する感想です。

ストーリーはわかりやすくて、深読みするほどの要素も少なそうです。ただひとつ、妙に感じたのは、火星にひとり残される主人公マークの「近親者との関係・交流の描写が描かれないこと」です。

一度だけ弱気になって、上司であるルイス船長に「もしこのまま自分が死んだら、両親に報告してくれないか」と遺言めいたメッセージを送るのですが、それが唯一、彼のプライベートでの近親者の存在を想起させる描写です。

観客が知りうる主人公のプライベート情報は、「マーク・ワトニー」という氏名と「シカゴ大卒の植物学者」という肩書きのみ。恋人の存在も不明、同僚の女性とのロマンスを匂わす描写もありません。

映画の展開が忙しすぎて、お涙系のヒューマンドラマを盛り込むヒマがなかったのかというと、そうでもなく、同じチームの同僚には、それぞれ、地球にいる家族との交流やロマンスのシーンが、ちょっとずつですが、描かれてるんですよね。この扱いの差、わざとなんでしょうか。

彼の救出作戦は、文字通り世界中が注目していて、キャッチコピーさながらに「70億人が彼の帰りを待っている」はずなのに、「マーク・ワトニー」という、肩書きなしの彼の帰りを待っている人は、ひとりも出てこないんですよ。

もしかすると、その解釈のヒントは挿入歌にあるのかもしれません。作中の挿入歌は1970年代のディスコ・サウンドが中心で、それらは、ルイス船長が機内に残したミュージック・ライブラリーのプレイリストである、という設定です。マークは、それしか聴くものがないんで「船長は趣味が悪い」とボヤきます。どう見てもルイス船長よりもっと上、50代以上のチョイスだろうと思うんですけどね。

で、この70年代サウンドと、マークがおかれた境遇をあわせると、誰もが「出てくるだろうな」と期待するのが「あの御方」です。そして、満を持して流れる、デヴィッド・ボウイの「スターマン」。これが歌舞伎なら「待ってました!」と声を掛けたくなるところです。

この曲が含まれたアルバムは、ボウイが自身を異星から来たロックスターになぞらえた、文学作品的な作品なんだそう。歌詞のサビの部分はこんなです。

空でスターマンが待っている
彼は僕たちに会いたがっているけれど、
僕たちが驚きすぎて心を吹き飛ばすだろうと思っている

空でスターマンが待っている
彼は心をしっかり持てば大丈夫と言っている
彼は心がとても大切なものだと知っているから

【デヴィッド・ボウイ】スターマンの個人的ひたすらまとめ・Starman – NAVER まとめ

ご覧のとおり、スターマン、めっちゃ繊細です。

ボウイが自らをなぞらえた「ジギー」という名の「スターマン」は、異星からやってきて、ロックスターとして君臨しますが、最後まで「異星人」であることに変わりはありません。これはボウイなりの孤独、疎外感への表現なのかな、と感じます。

マークも同じで、ルイス船長の音楽趣味や、別の同僚のオタク趣味をイジったりはするけれども、マーク自身の趣味や好きな音楽は、誰にもわからない。他の登場人物にとっても、観客にとっても、マークは、帰還作戦の成否に関係なく、最後まで他人、異星人であり続けるんですよ。

映画の原題は「Martian」(=火星人)、原作の小説についた邦題は「火星の人」です。このそっけなさ、完全に赤の他人に対する態度ですよね。

どんな境遇においても、人間は常に孤独なのだ

壮大なSF作品でありながら、その真のテーマは、わりと身近なものなのかもしれません。

もうひとつ、プライベート同様、描かれないものが彼の「目的」です。

マークの、決してあきらめない不屈の精神は、確かに勇気を与えてくれるものですが、その動機やモチベーションの出どころは語られません。愛する人との再会への希望とか、「もし生きて帰還できたら、これをする」といった使命があるわけじゃないんですよ。いや、実はあるのかもしれないけど、描かれていない。

そうした「わかりやすい動機付け」をストーリーから取っぱらうことで、「彼の生存への執念は、それそのものが目的である」という点が強調されているように感じました。「自分はなぜ生きようとするのか?」という問いに対する答えどころか、問いそのものがない。生き延びるために、あらゆるものを総動員するけれど、やってることは、生物としての根源的な営みです。宇宙上の一介の生命として、今この瞬間生きてるから、次の瞬間も生き続けようとする。

そんな作品だからこそ、繰り返しになりますが、私は訴えたい。

4D効果で収納ボックス目線に落とされたら、自分の、生き物としてのアイデンティティが揺らいでしまうんですよ。どんな文明下にあっても、我々は所詮、孤独な一介の生物にすぎない。その重要な気づきの機会を、損ねてしまう恐れがあるんですよ。無機物が受けてる衝撃を共感してる場合じゃない。ウチら全員、スターマンなんですよ。

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火星の人

  • 作者: アンディ ウィアー
  • 出版社: 早川書房