(読んだ本)「天皇と葬儀 ―日本人の死生観―」井上 亮

やわなべです。

現在の天皇は、ご自身の葬儀について「400年以上続いている土葬ではなく、火葬にしてほしい」との要望を公表されたとか。それを受け、2013年には宮内庁が天皇・皇后両陛下の「今後の陵と葬儀のあり方」という指針を発表したんだそうです。

実は、火葬するのか土葬するのかについて明確な基準があるわけはないんですね。確かに江戸期から土葬が続いていますが、それ以前は、火葬、土葬が混合していました。

天皇と葬儀 ―日本人の死生観―」は、日本書紀に記された初代の神武天皇から、先代の昭和天皇に至る、全天皇の葬儀を、わかる限り追っていこう、という試みの本です。とても一気読みできるような内容でもないし、したくもないんで、1週間ぐらい、ちまちま読みすすめてたんですが、いやあ、一種独特の読書体験でしたよ。

天皇の葬儀の歴史を語るということは、それぞれの天皇の死を語る、ということでもあります。つまりこの本、100人を超える歴代天皇が「どのようにして死を迎えたのか、周囲がその死をどのように扱ったのか」が、綿々と語りつづられるわけですよ。

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124代、1500年の物語

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天皇と葬儀―日本人の死生観―(新潮選書)

  • 作者: 井上 亮
  • 出版社: 新潮社

ガルシア・マルケスの「百年の孤独」はブエンディアという一族の、7世代にわたる興亡を描いた壮大な物語ですが、こちらは124代、1500年以上の物語です。文字通り桁が違います。

日本書紀以来、記録に残っている日本史には、どの時代も常に天皇がいらっしゃったわけで、歴代天皇の死と葬儀を読みつぐ、という試みは、いわば、この国の歴史を、その間ずっと存続するひとつの「イエ」から、一定の速度で見つめなおす(しかもずっと喪中)ようなものでした。一種独特な読書体験だった、と感じたのはこのことです。

とはいえ、歴代天皇の死と葬儀の描写を、単に時系列に並べらたてられたら、延々と続く弔辞を聞かされるようなもので、ノイローゼにはなっても、通読して楽しめるような本にはならなさそうなものです。

その点、日経新聞のジャーナリストである著者は、葬儀の描写にとどまらず、各天皇の人物像や、それぞれが時代背景の中で、いかなる立ち位置にあったか、それがどう変遷していったかについて、適宜情報を補いながら、興味を持ち続けられるよう書かれているので、読みやすかったです。

天皇は死なず、ただ引き継がれるのみ

最初に書いたように、火葬か土葬か含め、絶対的に確立した葬儀スタイルというものはありません。中には「墓なんていらない。火葬にした上で、遺骨は砕いて山に撒いてほしい」と、今でいう「自由葬」を希望する遺言を残して実際に火葬後に散骨された淳和天皇の例もあります。

平安期の11世紀までに「天皇は、死期の迫る前に譲位する」のが通例となり、それによって「天皇は死なない(譲位後に死んだ場合は天皇ではないから)」という虚構が確立していきます。そして、その虚構を維持するため、譲位が間に合わないうちに急死してしまった天皇が出てきた場合に「如在之儀」という、裏ワザまで編み出します。

最初の例は後一条天皇ですが、その死は、一定期間秘匿されます。その間に譲位の儀式を済ませ、「帝は譲位された後で、亡くなられました。在位中に亡くなられたわけではございません」という、アリバイ工作みたいなことをするわけですね。完全にフィクションなんですが、そこまでして「天皇は不死」という虚構を維持したかった背景には、神器である剣璽が、死んだ天皇から継承されることによるケガレを忌避する意図があったのでは、との説があるようです。

ただ、理由はどうあれ、このような、バーチャルな不死性が定着するあたりから、すでに天皇の「象徴天皇化」は始まってたのかもしれません。

権力の自分探しに都合のいい「天皇」

その後、南北朝から戦国期にかけ、権力も財政基盤もない天皇家は、葬儀の費用もおぼつかないほどの窮乏にあえぐことになります。一方で「死なない天皇」という、サステイナブルな永続性を、新興の権力者が自らの権力の正当性の根拠として利用するケースが出てきます。武力を背景に長期政権を打ち立てた江戸幕府もその点では同じです。

国家の統治は力だけではなく、思想、哲学、正当性がなければ長続きしない。力で戦国乱世を平定した徳川幕府は、太平の世になると、政権の正当性を確固とするための思想を必要とするようになる。権力の「自分探し」である。

江戸幕府は統治のイデオロギーとして朱子学を採用しました。「権力の正当性は天皇にあり、徳川家は、将軍として委任を受けたから統治しているのです」という建前です。完全に後づけの理論ですが、その思想は水戸学によって補強され、奇しくも、天皇が将軍の上位であるということを公認する形となり、のちの倒幕勢力の理論的根拠となっていきます。いわゆる、墓穴ほった、ってやつですね。

のみならず、幕末の水戸藩主の徳川斉昭公は、「尊皇攘夷の思想を形とすべく、歴代天皇の陵墓を幕府がちゃんと整備すべきだ」とまで言い出します。

現在、奈良や京都、大阪府南部には、宮内庁管理で立入禁止の天皇陵がいっぱいありますが、あれ、この幕末の頃から明治・大正期にかけ、時の政権の理論武装のために、急いで整備されたものです。中には(言葉は悪いですが)「でっち上げ」に近いものもあるんじゃないかと思います。

誰も存在すら知らなかった、神武天皇を皇祖として意識しだすのもこの頃からですし、各天皇の陵墓の場所も、その時になってはじめて比定されたところがほとんどです。仁徳天皇陵とされる、大阪府堺市の大仙陵古墳も、それまでは地元の人がピクニックや花見に行く行楽地だったのが、いきなり「侵すべからざる聖地」となってしまいました。

その後、倒幕を果たした維新政府も、その権力の根拠として天皇制を引き継ぎ、そのことを憲法に明記しちゃいました。フェイクの上にフェイクを塗り重ねていって、もはや中身が何だったのか、さっぱりわからなくなってるような感じでしょうか。

実は、江戸期の天皇(上皇)の葬儀のほとんどは、京都東山の泉涌寺(せんにゅうじ)が、代々請負の形でとり行っていて、ほぼ「天皇家専属葬儀社」という地位が確立していました。そんな天皇家という「イエ」のプライベートな葬儀に近かかったものを、明治政府が引き継ぐことになり、そのイベント進行を国家行事としてゼロベースで創設する形となったわけです。

しかも思想上、廃仏毀釈なんてやってしまったものだから、代々お寺が請け負ってた葬儀から仏教色も排さないといけない。さらに近代国家として執り行うために各種関連法案の整備も必要になってきます。

大正天皇の葬儀は、大日本帝国の法律にもとづいてとり行われた葬儀で、その様式は昭和天皇の葬儀にも引き継がれました。ただ、先代の葬儀の根拠になった各種法律が、敗戦後に無効になっていたので、当時の政府(竹下政権)も、国がどこまで関わるのかの理論づけに苦慮したそうです。昭和天皇の葬儀の様子は、30代後半以上の方なら記憶にある方も多いでしょうが、あれは明治政府による創作部分がかなりあるわけです。

昭和天皇の在位は、大日本帝国憲法下の時代にもまたがっていたので、先代の様式を踏襲する理由はまだありましたが、今上天皇は「もう時代にそぐわないから、もとの天皇家としての「イエ」の葬儀に回帰してもよいのでは」という、ご意向なのかもしれませんね。

まとめ

というわけで、通史としては滅法面白い本でしたが、副題である「日本人の死生観」というよりは、「治世者の天皇観」の理解にぴったりな本かな、と感じました。それも「葬儀」という、いつ来るのか誰にも予知できないライフイベントを通してみることで、より一層リアルでヒューマンな天皇観が感じられるのではないかと思います。

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天皇と葬儀―日本人の死生観―(新潮選書)

  • 作者: 井上 亮
  • 出版社: 新潮社